[ 挑水 no.02, 2004.07.21 発行より]

  函館に住む私と「日ロ交流史」

正月明け早々に思いがけない病を得、あわただしく闘病生活に入ったまま半年が過ぎようとしている。恐らくは、鬱ぎがちである私を慰めようという厚意からであろう。「自由に書いてください」と、編集代表よりこの紙面を許された。以下は、文献・資料に対峙することのままならない病床で、研究者としてのこれまでの自分についてぼんやり省みたことがらを綴ったものである。

 私が「日ロ交流史」と深く関わるようになったのは、函館という土地で市の職員となり、歴史研究にまつわる部署に配置された幸運による。

 大学時代の専攻が史学ではなかった私が、「函館市史編さん」という仕事を「日本史・地域史」の枠組だけで捉えようとしたならば、それは相当にきつかったに違いない。ところが、函館の歴史にはロシアはもとより中国、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ等々との交流の軌跡があちこちに眠っていた。函館が開港場であったという事実、そして、それ故に函館の歴史が有することになった歴史のダイナミズムが、史学研究の経験のなかった私に、恐いもの知らずながら、「日ロ交流史」のテーマを与えたのである。もっとも、大学時代、第二外国語として皆が履修を希望したフランス語、ドイツ語ではなく、人気のないロシア語を最初から希望したへそ曲がり(関係者には申し訳ない表現だが)の私は、やはり「日ロ交流史」に辿り着くことになっていたのかも知れない。(こういうと、ロシア語文献など楽々読破できるように聞こえるかもしれないが、私の実際は、必要最低限の情報を辞書と根性で果てしなく奇跡的に感じ取っている次第である。)

 さて、「日ロ交流史」の中でも、私がとりわけ興味を持ったのは、函館における漁業を通じてのロシア・ソ連との長い交流の歴史であった。もちろん、由緒あるロシア領事館や正教会、ロシア人墓地なども面白くはあったが、しかし、現ロシア領域における日本人による漁業が幕末・明治から連綿と続いていたことを知ったとき、わたしにはこれがテーマとして「汲めども尽きない泉」に思われたのである。人、金、物が激しくぶつかり合ったロシア領域における漁業が、函館という土地に及ぼした影響を解明してみたいという気持ちが先行した。その気持ちは今も変わらない。昨年秋、『挑水』創刊号(二〇〇三年、地域の情報を語る会)に発表した「狷港事件瓩判淨馮蝓△修靴独ヾ曄廚蓮∋笋慮Φ罎痢屬い沺廚魍里め、「これから」を構想するための「一歩」であった。

 一口にロシア領域における漁業と言っても色々な側面から見ることができる。経済史、外交史はもちろんだが、意外と思われるかもしれないが、文化や民俗史等の観点から分析するのも面白い。長期間にわたる異文化・異風習の接点でもあったからだ。そして細々とした出来事や人物に焦点をあて小さなことを掘り起こすのもまた一興である。マクロ的視点からもミクロ的視点からも、私にとっては誠に深みのある研究対象だと言える。

 『地域史研究はこだて』第二一号(一九九五年、函館市史編さん室)に発表した「函館におけるロシア人商会の活動―セミョーノフ商会・デンビー商会の場合」は、上述の私の関心の一部を満たしたものである。私はここで、デンビーという人物の商活動(海産資源の交易)を通して、一九世紀末から二〇世紀中葉までの日ロ交流のある側面を照らし出してみたつもりである。この論文には課題も多く、さらに探求すべき問題点も残されている。また、あらたな題材をとりあげて、漁業に焦点をあてた日ロ交流という私のテーマを深化する必要も感じている。

 しかし、一方で、この論文からは新しい関心が芽生えたこともまた事実である。漁業・商活動というファインダーから離れて、「人間・デンビー」そのものにより近づきたい気持ちが強くなったのである。スコットランドからロシア沿海州へ移住してロシア国籍を取得、ロシア革命を経て日本に亡命、そこで第二次世界大戦を迎えたデンビー一家。その二世代にわたる暮らしぶりはそれほど魅力に満ちたものだった。ある時など、デンビー家にまつわる生資料一山が見つかったという夢を見たことさえある。

 二代目デンビーは函館で貿易業を営みながら亡命生活を送ったが、一家の華やかな生活ぶりは当時の市民に強く印象づけられた。しかし、それはいわゆる北洋漁業で経済力をつけ、成金都市となった函館に咲いた、ある種のあだ花のようなものとも言える。亡命により無国籍者となったデンビー一家は、第二次大戦中は上海に身を潜めざるを得なかった。戦後日本に戻り、函館での事業再開を望んだものの、それは叶わなかった。「日魯漁業(株)」の堤清六のライバルとして、北洋漁業の覇者として名を馳せたにしてはあまりに淋しい末路である。今はデンビーと言っても、大方の市民には誰のことかわからないだろう。『堤清六の生涯』に劣らない伝記を、いつかは書き残せればと願っている。

 このデンビー一族への関心を発端に、近年の私の関心の多くは亡命ロシア人とその家族の歴史に移行しつつある。「来日ロシア人研究会」などに参加させてもらいながら、「聞き書き」を手法に、この分野でもいくつかの論文を発表してきた。また、近年知己を得て、取材させて頂いたシュウエツさんご一家(現在は東京にお住まいだが、第二次世界大戦以前は函館在住であった)の歴史も、さしあたり、『異郷に生きる』(二〇〇一年、成文社)で「サハリンから日本への亡命者―シュウエツ家を中心に―」として報告したが、いつかは一つの伝記として残したいと考えている。

 さて、私の幸運は、上述のように、函館という土地で歴史研究に携わることができる現状にあるのだが、ここでは市立函館図書館の存在にも言及せずにはいられない。

 いかに関心が高くとも資料がなければ歴史的叙述を行うことは難しい。歴史家には資料が命であろう。幸い、市立函館図書館には素晴らしい郷土資料が揃っている。特に北方関連資料には定評があり、私もずい分珍しいものを見つけることができた。どんなに些末で無用に思われても、後世非常に役立つ資料となることがままある。この図書館には、貴重本からそういった細かなものまで収集されているのが素晴しい。研究者を奮い立たせる魅力のある資料がここにはたくさんある。

 一般に市町村レベルの図書館は設立が新しく、「過去」の時間が短い。一般書の購入は容易としても、郷土資料の収集となると一朝一夕にはいかない。その点、市立函館図書館は岡田健蔵の私設図書館時代から数えれば百年ちかくに及ぶ歴史がある。岡田健蔵の資料に対する眼力については今さら述べるまでもないが、市立函館図書館には開拓されるべき資料がまだ多数所蔵されている。この豊かな遺産を守っていきたいと願わずにはいられない。

 ところで、資料といえば、私も含め、研究者なら誰でも「新しい資料(新発見)」を追い求めたくなるものである。たとえば日ロ交流史では、これまでロシア側にある資料は入手困難で、空白の部分も多かっただけに、近年の在ロシア資料の発見・紹介は確かに歓迎すべき事柄である。これによって、「日本史」や「西洋史」という既存の方法論的殻から脱却し、新たな展開と益々の成果が表れることが期待されてもいる。冒頭に述べたように、どちらの「史学」にも属していない私には、その間を取り持つような仕事ができれば、それに勝る幸せはないと思っている。

 私自身、新資料の発見に揚々たる心持ちになったことがある。しかし、そんな時に耳にした、とあるシンポジウムでの老大家の言葉を忘れることができない。
 「今まで見つかっている国内の資料を一字一句何度も読み返すことも大切です。わかっていなかったことがたくさん出てきます。」
 既に多くの人の手に触れられた日本語資料を、もう一度丁寧に自分の目で検証することの大切さを突きつけられた気がした。以来、私なりに、できる限り老大家の言葉を座右に置いてきたつもりである。

 最後に、函館市の現在の「国際化」について、日ロ交流史の研究者の一人として、あえて述べておきたいことがある。それは、私にとって函館の過去の歴史が魅力的であるように、後世の函館市民にとって現在の歴史が魅力的な「歴史」となるような内容であってほしいと思うからである。

 私が函館に住んだのは、およそ二〇年前。斜陽都市のなれの果てから観光都市へ再生しようと、異国的佇まいが残る西部地区に色々なお化粧が施されつつあった。その頃からブームとなった「国際化」という言葉は、函館街興しのキーワード「観光と国際化」となって現在にも受け継がれている。

 しかし、この「国際化」という言葉ほど評判の悪い標語もあるまい。多くの場合、自治体が標榜する「国際化」は、その中身があまりに貧しいために非常に陳腐な響きがする。函館も例外ではない。ある特定の人々(首長を中心とする行政マンと議員、その取り巻きの文化人や経済人)による海外訪問、あるいはその返礼としての海外からの客人の歓迎行事。やがて誰であったのかさえ覚束なくなる銅像の建立、そして一過性の賑やかなだけのイベント。これらは、一見華やかで、確かに歴史として、年代と場所が特定され、何が行われたかが記述されるだろう。しかし、その記述は後世の人々の関心を喚起することができるだろうか。

 政治家の道具として利用される「国際化」とは別に、函館市民の間には、例えば、ロシア語の継続的な勉強会、在外国人に対する親善活動などが根付いている。地味ながら息の長い活動をしてきた市民がいる。日ソ国交回復後には、函館ドックや他の造船工場にソ連からの修理船が入って、これらの会社にはそれなりの実績となった。こういった小さな事実こそ、正当に評価され記録され、そして、「さすがに歴史的国際都市函館だ!」と、次世代の「日ロ交流史」の一ページにも追加されるべきものと思う。

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